みんなで囲む「食卓づくり」を

Diary

改めておせちへの想い

2017.01.09

私の中でおせち料理がとにかく特別な存在。

年の始まりに食べるおせちは、
「この1年 健やかに幸せに 行ってらっしゃい」と
送り出すような存在であり、
自分の家族は自分が守るんだ という決意でもある。

だから本音としては、
品数が少なくてもいいから
自分の家族は、ご自分の作ったおせちで
もてなしてあげて欲しい と願う。

そのために12月の教室ではおせち料理を組み込み、
1品でも作ってもらえたら 
と思うのは今でも変わらない。
実際におせち料理の教室は人気で
作って報告してくれる生徒さんも多い。
おせち料理という物に興味を持ってくれることは
とても嬉しいし、やりがいを感じる。

そんな思いがある一方で
私自身がおせちを販売するという事に
少し矛盾を感じていたのも事実。

何でも買えるこの時代に、
作れ というスパルタも無理があるのかもしれない。
ならばせめて
おせち料理を途絶えさせない という事も 
料理人として大切な事ではないか
と販売に関しては無理やり自分を納得させた。

日本の誇りである おせち料理。
私は生きている限り、絶やさず作り続ける。









おせちから学ぶ事④

2017.01.08

出来る事が多くなればなるほど、
まだまだ出来ていない自分も見えてくる。
そういう部分では、今回のおせちつくりも
まだまだだな・・・、と実力不足を感じた。
何だか悔しかった。

自分の駄目な部分も 自分に甘い部分も
一旦認め、受け入れて、
ひとつ ひとつ 出来る部分を増やしていこう と
思えたことは、とてもいい経験となった。

今年はもっと自分に厳しく、他人に優しく。




おせちから学ぶ事③

2017.01.07

おせち料理の盛り付けだけではないが、

お料理をする時は是非両手を使ってほしい。

人に対して、片手で対応するのは失礼にあたる。
やむを得ず片手になってしまうときは、
一言「片手ですいません」と添える、
そんな風に教わってきた。

食材は命であり、
その命で作られた料理もまた尊い存在なのである。
全てのものが両手で大切に扱われる価値がある。

気持ちが入るから、自然に両手を使うのか、
両手を使う事を意識すると、
気持ちがついてくるのか はわからないけれど、
両手を使って料理をする姿はとても美しいものだと思う。

何より手は最高の調理器具。
想いが宿り、伝える場所である。
美しい手のしぐさを身につけて欲しい。



おせちから学ぶ事②

2017.01.06

里芋を少し煮崩した。
他の事に夢中になっていた。
目を離しただけでなく、
心が離れたのが失敗の要因である。

煮崩れた方は実家用にして
新たに里芋を買ってきて作り直した。
今度は目も心を離さなかった。

鉄鍋の扱いでも同じことが起こる。
心が離れたときに錆びる事が多い、
まるですねてるかのようだと感じる事が多かった。
台所からの火事も、火に対する心構えが
おろそかな時に起こるのかもしれない。
人間同士も心を離した時から何かが崩れ落ちる。

人だけでなく、食材や物にも心がある というのを
まざまざと見せつけられた気がした。

何か失敗したり、うまくいかなかったりしたときは、
まず自分の心がどこにあったかを確認すれば、
同じ失敗を繰り返さなくて済むのではないか。
心の使い方で人生は確実に変わる。






おせちから学ぶ事①

2017.01.05

去年年末に仕込んだおせち。

量が多かったのもあるが、
お野菜が例年よりもあくが強いと感じた。

手間をかけ、しっかりとエネルギーと味を含んだ
お煮しめを食べさせてあげたい と奮闘していたら、
あくは人間に見えるよう自ら姿を現し、
「これをしっかり取り除きなさい、きっと美味しくなる。」 
と言ってくれているように感じた。
素直にその言葉に従い、
何度も何度もあくを取り除くと やはり
だんだんきれいな味になってきた。

自我を捨て、親心で料理をすれば
必ず導いてくれるものが見える という事。
また一つ信じれるものが増えたのがうれしい。








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